「エモい」の話

私のまわりで「エモい」という言葉が使われだしたのは、高校3年生のときだった。体育祭、文化祭、宿泊行事。何かしらのイベントがあるたび、この言葉が持ち出された。私は突如現れたこの言葉をよく思っていなかったが、まわりに合わせてなんとなく使っていた。

 

それから数年。今では私も「エモい」をナチュラルに受け入れているし、SNSでも頻繁に目にするようになった。大多数の流行語とは異なり、私たちの生活に定着しているように思う。

 

思うに、「エモい」は使いやすいから生き残ったのだ。「〇〇い」という形と適用範囲の広さ。多くの流行語は特定の対象を指す傾向にあるが、「エモい」は感情を指す言葉なので、さまざまな対象に使用可能。だから、ほかの流行語より粘り強かった。

 

しかし、この適用範囲の広さは批判されることもある。何かに心を揺さぶられたとして、それを「エモい」と瞬間的に形容してしまうことは、なぜ、と考えるステップを飛ばしてしまうことになる。言語の多様性を奪ってしまうという懸念もあるだろう。

 

よく分かる、でもやっぱり「エモい」は便利だ。フランクな会話の中で使うのを咎められてもなあ、と思う私もいる。結局折衷案として、何に対して「エモい」と感じているかを見つめ、自分なりの「エモい」の定義を明確化したうえで使うことにしている。

 

EDMやロック。電車から見る東京の夜景。高校2年生の文化祭でステージに立った40分間。アイドルが語る、違う道を選んだ仲間との友情。ただ心を揺さぶられたというだけでなく、刹那性あるいはノスタルジーを感じるものに対して使っているのだと思う。

 

「エモい」の適用範囲は広い。でも私は、非常に限定的な使いかたをしている。「ある体験を通して湧き上がるポジティブな感情と、その刹那性あるいはノスタルジーから生起する切なさとが混じりあった心の状態」とでも言えばよいだろうか。「エモい」を知る前、私はこんなまどろっこしい説明によってしかこの感情を表せなかった。でも今はひとことで十分だ。

 

かゆいところに手が届く、そんな感覚が嬉しくて、今日も私は「エモい」を使う。